自己主張ができない人間になった要因を探ってみる。

私は自己主張が苦手だ。というか、もはや「できない」と云ったほうがいいのかもしれない。
・今日、こういう嫌なことがあった。
・職場の上司からこんなヒドイことを云われた。
・いまこういう悩みを抱えている。
・好きな人がいる。
・熱が出ていて具合が悪い。
・買い物に行きたい。
・話題のあの店で食事がしてみたい。
以上のような主張は、一切誰にも云えないし云ったこともない。
家族にも友人にも。もちろん職場の人にも。あ、彼氏はいません(笑)いま現在好きな人もいません(笑)
とにかく、この程度のことで電話とかメールとかLINEとか、わざわざ誰かに連絡をするなんてどうなんだろうと思ってしまう。この程度のことで誰かの貴重な時間を消費させてしまうなんて本当に申し訳ない。人からそういう連絡がきてもなんとも思わないんだけど、私のほうからはできない。
又、悩みについても、この程度の悩みなんてきっと誰しもが抱えているもんだろうし、むしろ私よりよっぽどツライ状況にある人なんて世の中にはたくさんいるんだろうし、それなのにこの程度の悩みで弱音を吐くなんて私は我慢が足りないんじゃないだろうか。甘ったれているのに違いない。
第一、たとえば上司からヒドイことを云われたとしても、それは何かしら私に非があるのだろうし、自分に悪いところがあるのだから仕方ないじゃないか。とか思う。私って根が怠け者だし。それに呑み込みも遅いし。だからよくミスもする。私にそういう悪いところがあるから周囲の人を苛々させてしまうのだろうとか思うと、もはや何も云えなくなるというか。つまり、そういった悩みを他人に打ち明けるということは、そういう自分の悪いところも他人の前にさらけ出さなきゃいけなくなるわけで。それがものすごく怖い。呆れられて嫌われるんじゃないかという不安で何も話せなくなる。
で、買い物とか食事とかも、わざわざ誰かを誘うほどのことなのかな……とか思ってしまって、結局一人で行ってしまう。だって他の人はその店に興味ないかもしれないし。ましてやそもそも私に興味なんてそんなにないだろうし。それに友人は一人を除いて、あとはみんな結婚してしまっているし、すでに子供もいる。子育てに忙しい人を、大した用でもないのに付き合わせるのは気が引けてしまう。

で、そうすると、家族や友人に私のほうから連絡を取る用件がないので、それでも家族は何かしら用事が発生するから向こうからアクションが来るので縁が切れることはないけども、友人知人はことごとく疎遠に……。
でも私に人間としての魅力がないのだから、疎遠になっても仕方ないなって思う。私って物を知らないから相手に何かしらプラスになるような情報も提供できないし。面白い話題も提供できない。話術ないしね。そのうえ聞き上手というわけでもない。だから友人たちは私と付き合ってもメリットがないし、そりゃあ私に連絡する気が失せても当然で。

たとえばここ数年でダイエットをして10kgくらい痩せたけども、それを始めたキッカケも太ってて醜いと他人から余計に嫌われるんじゃないかと思ったから。当時はなにしろ、ツイッターで仲良くなった方々と夏コミで初対面をすることになってたし。だからその前に、少しでも嫌われる要素は減らしておこうと。あと、痩せて綺麗になったら少しは自分に自信が持てるようになるかなぁという期待もあった。
でも痩せたところで整形したわけじゃないから元は変わらないわけで、だから結局ブスはブスだし。それに元々がデブだったから、たかだか10kg痩せたってまだまだデブだし。だから私は他人から避けられるのかもしれないとか思う。醜いんだもん。
そういえば私ツイッターでも頻繁に自分のことをデブでブスだとツイートしてるけども、私は本当に本気なのだ。きっと「そんなことないよ」待ちだろって大多数の人が思っているのだろうけど、そしてそう思われてるんだろうなって私も思ってるんだけど、それでも自分のことをデブだとかブスだとか云わずにいられない。で、そういうツイートをするとやっぱり、仲良くなった方や実際に会った方が「そんなことないよ」って云ってくれるんだけども、私は根性も思考もねじ曲がっているのでどうしても言葉通りに受け取れない。というか、「この人は優しいから私を慰めてくれてるんだ。私が傷つかないように、お世辞を云ってくれてるんだ」と思ってしまう。人間として最低だよね、そういうふうにしか受け取れないなんて。

前置きが長くなった(笑)

以上のような考え方をしてしまうという話を、先日初めて他人にした。カウンセラーの方に。
そうしたら、私は自己肯定感がものすごく低い。そして自分自身に対する良い悪いの判断基準が厳しすぎる。と云われた。
私は自分のことを、自分自身に甘すぎる人間だと思っていたので、逆に厳しすぎると云われてビックリした。

というわけで、どうして私がこういう考え方をするようになったのか、過去のトラウマを探ってみようかなと思い立ってみた。
以下、無駄に長いよ……ここまでも十分に長かったけど。簡潔に書くということができなくて本当に申し訳ない。



私が「あれはトラウマになってるな」といまになると思う一番古い記憶は、物心ついたばかりくらいの幼いころ。5歳……にもまだなってなかったころかなぁ。3歳か4歳か。
おもちゃを買ってあげるから好きなのを選びなさいと親から云われて、私が選んだのは合体ロボだった。たぶんアニメだか特撮だかのおもちゃだったと思うんだけど、ふたつに分かれてる物がカチャカチャ動かすと合体してロボットに!そしてロケットパンチも出る!本当にテレビで見てるとおりに動くの?!わくわく。みたいな。私は分解、解体、組立というのが好きみたいで、大人になったいまでもそういう物に興味を惹かれる(笑)
で、この合体ロボがほしいと云ったら、親から云われたのが「もっと女の子らしい物を選びなさい」だった。
そのあと結局おもちゃを買ってもらえたのか他の物を選び直したのかまったく記憶がないのだけど、云われた言葉だけはずっと覚えている。たぶん当時の私は相当ショックだったのだろう。

ところで、私はものすごく過保護に育てられた。両親にとって私は一人目の子供だったからそうなるのは当然なのかもしれないけれど、とにかく甘やかされまくりだったと思う。根性なしでヘタレな性格なのはそのせいじゃないかと思ってるんだけども。
ただし、過保護に育てられたのは5歳まで。
私が5歳になったときに妹が生まれ、それからは2年おき3年おきに兄弟がぽんぽん増え、結局5人兄弟に……。そうすると母はもうてんやわんやで、しかも父は家の中の用事を一切手伝わない人だったので(電話応対、来客応対すらしない)、もはやある程度大きくなっていた私を気に掛ける余裕なんて母にあるわけがなく。ほぼほったらかし。
それどころか一番下の弟が生まれたばかりのころの面倒はだいたい私が見た。見させられた。なにしろ年が一回り違うからなぁ……。母から頼りにされまくり。「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」「やっぱりお姉ちゃんは頼りになるわね」「お姉ちゃんがいてくれて助かるわ」という言葉を何度も云われた。ずっと云われ続けた。兄弟姉妹の多い家庭の一番上として育てられた人ならだいたい経験してることだと思うけど。
そしてワガママが云えなくなった。しっかりしてないといけないんだという認識を植え付けられ、羽目を外せなくなった。会社の飲み会とかに参加すると「志津木さんはもっと羽目を外したほうがいいよ」としたり顔で説教してくる男がよくいるんだけど、そんなことは私自身嫌というほどわかってるし、そう云われてできるもんならとっくにやってるし、だいたいあんたにそんな意見求めてねえんだよ!!といつも思う。その言葉は聞き飽きたし、うんざりだ。
で、弟妹たちに対しても「しっかりしてるお姉ちゃん」で接してきたから、自分の弱いところなんてとても見せられないしもはや弱音とか吐ける相手じゃないんだよね。悩み相談とかしたことない。それに私が成人した時点ですぐ下の妹でさえまだ中学生だったし、一番下の弟にいたっては小学校低学年だったから、話の通じる相手ですらなかった。いまはもう弟妹全員成人してるけど、いまさら「実はね、」なんて悩みを切りだせない。それにどう話したらいいのかもわからない。

そして小学校2〜3年のころ、いじめにあった。
といっても、殴られたり蹴られたりとかいう物理攻撃を受けたことはなくて、クラスメイトから普通に接してもらえないとか無視されるとかそういう程度のことで、最近ニュースになってるような過激ないじめと比べたら本当に些細なことなんだけども。それが始まったキッカケは、私はまったく覚えてないんだけど私が鼻をほじっていたとかで、気がついたら私は汚い人間だという烙印を押されてて、教室の中で誰も私に近寄ろうとしない。私の触ったものは汚いので誰も触りたがらない。そんな感じ。
本当にこの程度のいじめなんて、どこにでも転がってるレベルのものだといまになってみれば思うんだけどね。全然大したことじゃないって思うんだけど。でも私は当時から精神的に打たれ弱いヘタレだったので、学校に行くのが本当に嫌で嫌で仕方なかった。朝は隙あらば体温計で熱を測って、微熱でも出ていようもんなら学校を休もうとした。冬だったら暖房の熱を利用して仮病を装ったりも……。
でも、ある日とうとう耐えきれなくなって、親か担任かに、いじめを受けていることを訴えた……んだと思う。当時のことは記憶があやふやなんだけど。たぶん母に訴えたのかな。そしたらそれを母が担任に伝えた……んだろうな。おそらく。
小学校時代の先生なんて他はまったく名前を憶えてないんだけど、この担任の先生の名前だけはいまも憶えている。忘れられない。その当時で40過ぎだった頭文字Tの女教師だ。その担任の先生は、いじめの中心になってる子たち4〜5人たちと、私を一緒に呼びつけて、先生の前でその子らにどんなことをされたかを被害者の私に云わせて、そしてその子らに先生の前で謝罪をさせるという最悪なことをしてくれやがった。しかも他の子たちの目もある教室でだ。地獄。いじめ以上の地獄だった。
私は謝罪がほしかったわけではない。それどころかこんな謝罪ならないほうがマシ。というか、謝罪してもらったところで、いまさらその子らと仲良くなんてできるわけがないんだし。友達になんてなれるわけがないだろう。何を求めてるんだこの女教師は、と思った。
そして、誰かに助けを求めても結局状況は好転するどころか余計に悪くなるということを知った。

そしてちょうどそのころ、父が突然キリスト教徒になった。熱心で敬虔なクリスチャンになって、最終的には牧師にまでなった。それは別にいいんだけど、宗教は個人の自由なんだし。
しかし父は家族全員にも否応なしに教会通いと洗礼を強要……本当に勘弁してほしかった。大人になったいまなら「宗教の自由」を理由に拒否したのになって思うんだけど、当時まだ10歳にもなってなかった私には無理だった。つか、仏教徒だった母でさえ改宗させられたんだから、拒否なんてできるわけがなかったんだけど……。
日曜の夜という家でゆっくりテレビでも見ていたい時間に、強制的に教会へと連れていかれ、退屈で有難くもなんともない説教を延々と聞かされ、歌いたくもない讃美歌を歌わされ、見知らぬ大人たちと「感謝します」とにこやかな笑顔で云い合いながら握手をするという地獄な時間を過ごさせられた。いま思い出しても吐き気がする。でもちゃんとやってるフリをしていないと、あとで父がブチ切れる。うちの家は父の恐怖政治だったから。だから子供の私は必死にそれらしいフリをしてた。信仰心なんて芽生えるどころか、嫌悪の感情しかなかった。
しかもそのうえ父は生前「将来結婚するならキリスト教徒以外は駄目だ」とか云っていた。無茶云うな。そもそも私にまったく信仰心がないのに、そんな相手を選んでどうするんだ。
でもそれ以前に、私はそもそも結婚する可能性がないけども。

実は私には、男性恐怖症の気がある。
「あの人かっこいいなー」ってタイプの男性を遠くから眺めたり、男性芸能人を好きになったりは普通にするけど、手の届く距離に来られるとどうしていいのかわからなくなる。何を話していいのかわからなくなる。そして男性的な面を前面に出されると逃げ出したくなる。怖い。
でもどうしてそうなのかなぁと自分でもずっと不思議だったんだけど、昨日ふっとその原因を思い出した。
私小学生のころ頻繁に痴漢に遭ってたんだよね。当時、家から目と鼻の先にスーパーがあって、私はそこに頻繁に一人で遊びに行ってたんだけど、気がつくと見知らぬ大人の男がずっとあとをついてきてたり、おもちゃ売り場で何かに熱中してたらその隙に別の見知らぬ男性から尻を撫でられてたり。気持ち悪かったし怖かった。ものすごくトラウマである。でも誰にも相談したことはない。
あと、一人暮らしを始めたばかりのころ、家に突然見知らぬ男性が怒鳴りこんできて「〇〇がここにいるだろ!出せ!」と聞いたこともない名前を喚かれた。「知らない」と答えても「そんなはずはない!」「隠してんじゃねえ!」と5分くらい玄関に居座られ……正直殺されるかと思った。それ以来しばらく、玄関のチャイムが鳴っても居留守を使うようになった。怖くてとても応対に出られなかった。家族も知り合いも、連絡もなしに訪ねてくることはないし。でもこれも誰にも話したことはない。
たぶん家族の誰も、友人知人の誰一人として、私に男性恐怖症の気があるとは思いもしてないと思う。ていうか、私もずっとその自覚なかったし。だから何度か男性を紹介されたんだけど、全員2〜3度デートをしてそれっきり……。私のほうから連絡なんてやっぱりできないし、二人きりのときも何を話していいのかわからなくて、相手の話に愛想笑いで「あははははー」って……そりゃあ相手の男も愛想を尽かすわ。紹介してくれた人たちにも、相手の人たちにも本当に悪いことをした。でもどうしても無理だった。どうしても他人との距離を縮められないし、心を開いて他人と接するなんて到底無理。
ていうか、心を開くってどうやるんだろ。ぜんぜんわからん。

あと、私は小学生のころから勉強が苦手だった。予習復習なんてするわけがないし、毎日宿題を片づけるのも四苦八苦。だからもちろん成績も悪かった。
私は自分のことをバカだってよく云ってるけど、本当にバカなんだよー。
んで、父が「うちは子供が5人もいるから、お金がかかるから大学には行くな」とか云うから商業系の高校を受験したんだけども、受験勉強も真面目にやってなかったので公立高校は見事に落ちて私立の商業高校(女子高)へ進学。でもその女子高に進学したのは良かった。なにしろ苦手な男子がいないし、おかげで最高に楽しい学生生活を送ることができた。
それで、やっぱり商業科なので、簿記とか商業経済なんていう授業もあって。でもって実は私が入学したのはコンピュータビジネス科という学科だったので、プログラミングの授業もあったりして(ただし当時の主流はCOBOLだったので、いまとなっては何の役にも立たないけど)入学したばかりのころは、プログラミングなんてさっぱり意味がわからなかった。まるで謎の呪文。フローチャートとかなんのこっちゃって感じ。
ところが私の脳ミソに何が起こったのか、ある日突然目の前が開けたみたいになって、プログラミングの授業だけ大得意になった。フローチャートなんて問題を読んだ瞬間に閃くようになっちゃって、ついには1年1学期の期末テストでトップの成績を取った。95点とかだったかなー。自分でもビックリ。他の科目はほとんどが赤点スレスレなのに。
その日は浮かれた気持ちで帰宅して、トップの成績を取ったよ!って母に報告した。バカな私がこんな点数を取るなんてありえなかったし、トップなんて本当に初めてのことだったし!だから褒めてもらえると思った。喜んでもらえると思った。
でも、母から云われたのは「五教科以外じゃ意味がない」だった。数年後に「あれはショックだった」と母に伝えたら、「私はそんなことを云った覚えはない」と返されたけど、私は忘れない。忘れるわけがない。悲しくてショックで泣いたのだから。
そういえば母に報告するという行為をしなくなったのはこのときからだったような気がする。

しかも、父が何度も何度も「大学には行くな」と云っていたから私は商業高校を選び、高卒で就職したのに、結局弟妹はみんな大学進学してやんの……。
やっぱりね、大卒か高卒かの差ってでかいわ。知識教養もだし、顔の広さもぜんぜん違うし、なにより人生経験の差が半端ない。そして社会に出てからの収入格差がもうね……本当に泣けてくる。
そんなわけで、私は弟妹たちに対してコンプレックスを抱いている。もちろん弟妹たちは何も悪くない。私の気持ちの問題だ。勉強ができなくて、自己主張もできない私が悪い。自業自得だ。わかっている。でも……つらい。
男性恐怖症の気があって、コミュ障の気もあって、人付き合いができないことも、弟妹たちに対するコンプレックスに拍車をかけている。弟妹たちは私と違って社交的だから……弟妹たちと会うたびコンプレックスを刺激されて死にたくなる。自分の駄目さ加減を思い知らされる。

ていうか、これを書いてて、久々に本気で死にたくなった。でも、死なない。死ねない。他人に迷惑がかかるから。そして家族に迷惑がかかるから。
私、死にたくなるたびに思うんだよね。たとえばいま住んでるこの部屋で自殺したら、大家さんに迷惑がかかるなーって。それに私の死体を片づける人も迷惑だろうし、家族はいろんな人に謝罪して回らないといけなくなるんだろうなって。そうなるのは申し訳ない。線路に飛び出して死んでももちろん大勢の人に迷惑がかかるし、道路に飛び出してもそこをたまたま通りかかったドライバーに迷惑がかかる。ましてや飛び降り自殺なんてしようもんなら、そんなひどい有様の死体を片づける羽目になる人は本当に大変だろうなって。
そんな迷惑をかけるくらいなら、まだ生きてたほうがマシなのかもしれない。そう自分に言い聞かせて私は今日も生きている。